質問2
AG出版からの、あの回答書だけで、訴訟をおこすのは・・いかがなものか。裁判は極力さけるべきではないか、話合いこそが、今必要なのでは? 是非、AG出版と話し合い解決をはかるように提案します。
塚崎 健吾
AG 出版からの回答書は、コミニケーション拒絶の弁護士連座で我々を軽くあしらう体のものでありました。 これでは問答無意味と判断し他の連名の方に同意を求めた上で、訴訟準備に入り、PATIOやHPで活動を公表し支援をいただいたりもしています。AG出版の方から話し合いを求めるというのでなければこちらから、交渉のようなことをするつもりはありません。
加藤 直之
著作権の財産権と人格権ですが、これを侵害した、ということは、つまり他人の財産を盗んで、しかもその人の名誉を傷つけた、ということです。
泥棒が、つかまったとき、「金を返すから、いいだろー」と言い訳しても通用しないのはおわかりだとおもいます。
ぼくも、基本的には、誤りを認めた人を攻めることは致しません。また、実際にそうしてきました。平田さんが、貸し本時代の原画の扱いで悲しい思いをされたと同じように、ぼくも、悔しくて枕を涙で濡らしながら(←事実よ) 何日も眠れない日々を過ごした経験があります。そんなとき、それぞれの担当編集者や印刷工を許すことにはしましたが、でもその会社という組織に対しては、これを許すことは絶対にしませんでした。断固とした対応を取りました。その多くは賠償金という形でしたが。 (でも、やっぱり、意識的に嘘をついた人を許したくないなー)
それは著作権という言葉を知る前のことでした。
事件が起こって、たくさんの絵描きに電話をして、他ではどうなのかを聞きました。ぼくの廻りの絵描きには、きちんと意識をもっている人のほうが少なかったんですけどね。応援は小説家からのほうが多かった。それがやっと解決して出版社もその後のトラブルを防ぐような体制づくりをしてくれるのを見、喜んでいましたが。
それと全く同じことが、10年ほどたって、今度は出版や出版業界とはまったく関係無い、コンピュータゲームの世界で起こったときには驚きました。自分のあの体験はなんだったんだ!と。出版という狭い範囲でしかその経験が通用しなかったのです。
また最初からやり直しでした。コンピュータのソフトを作っている会社の社長さんたち20人くらいの会合に出かけていって、なんとかしてくれ、と訴えました。そうしたら、その社長さんたちも、やはり自分達がいっかいのプログラマーだったとき、大手電気会社と戦ってきていたのでした。そうして出来たのが日本コンピュータソフトウェア著作権協会です。いまでこそ、違法コピーはいけないよ、とユーザーに訴えていますが、昔は、コンピュータを作って販売しているところが交渉の相手だったのです。絵描きは出版社と一緒に繁栄していくように、ソフトとハードは大事な関係なのにね。
てなわけで、「加藤さん、絵描きもそんな団体をつくったらどうですか?」 と説教されてすごすごと帰ってきたのです。ところが、偶然、自分の所属している出版美術家連盟という組織が、なああああんと、絵描きの団体が皆で昔つくったという美術著作権連合に、これまた参加していることがわかったのですよ。
すでに、もう、あったのです。
じゃあ、なぜ、それを僕が、そしてぼくのまわりも、誰も知らないの?
組織は組織された瞬間から、組織としての性格に縛られます。会員がたくさんになれば、相互の連絡は難しくなります。かといって事務局を置き、理事を選出すれば、これまた連絡に「コスト」が、かかります。組織の外部からの訴えにも対応できない。個人じゃないですから。(これは、組織に雇われた人が過ちを犯しても、誤りを認めた人は許す、と同じことなのだろうか? 会社の代表取締役という役職は組織そのものなんだろーか?)
それでも、そんなコストをかけた記録が、それぞれの団体に少しずつ残っていました。(いまそれを全部、コンピュータに打ち込んでいるところです) 記録や、過去の体験もまた同じ。昔の議事録を引っぱり出してみると、じっさいに裁判になったものはその報告や新聞記事として記録は残っていますが、和解になったもの、またそこまでいかずに解決したかどうかわからないものの記録はほとんど残っていないんですよ。
いま、インターネットがありはしますが、現状では、マスコミに紹介されていてさえもも、異業種同士のトラブルの体験の交換はほとんどない。
今回、じつは牽牛さんに、そんな記録の中の、30年ほど前に絵本画家たちによって起こされた『小学館美術著作権侵害事件』の記録をお送りしたのですが、(いずれ公開できるようにしたいと考えています)その中に、原告たちが、「和解ではなく、判決を!」と主張する部分があります。その気持ち、よくわかります(^^;)
裁判になる前に、AGが折れてくればそれはそれで非常に嬉しいことですが、すでにまた別の問題も提起されてしまっているのです。それは なぎくん の書いた、あの問題です。帯さんが書いた、あの問題。
これまた、美術著作権連合の理事会に行っていろんな団体の理事の皆さんに伺ってみると、タイアップと称する、売り込みや、掲載料を取って絵描きを 食い物にする例はいくらでもあるんでした。中には「たかり」としか思えな いような物までありました。でも、そんな知識もやっぱり、議事録にしか残 りません。普通だったらそれさえも残らないでしょう(ぼくが全部、理事会のテープからおこして、議事録とは別に記録しているのです。将来のために)
裁判になる前の和解という手段がどうしても、いまいち印象が弱くなるのかといいますと、そこにどんなに正義があっても、それもやはり、一つの契約の一形態だと思うのです。どこまでも両者が話し合って、解決を見る ものだからです。外から見れば、ほんとうのところはわからない。
でも裁判で判決が出れば、それは国の公式な、『司法』(裁判所の裁判官) が出した、お墨付の、結論です。マスコミへの発表でも、重みが違います。
つまりそれは、同じようにあくどいことをしている会社への、より大きな警告となるのです。しかし、これ一回こっきりで終わってしまったら、それこそ弱小出版社へのいじめともとられかねません。これを第一歩として、出版社の大小に関係無く、侵害があったら、断固として、きちんとこれを正していくような、活動を続ける責任がぼくらにはあり、またつづけなければならないと考えます。ただ、次のトラブルをまたぼくらがやるとは限りません。まったく関係無い人達が始めるかも知れない。そんなとき、裁判で結果が出た、という意味は非常に大きなものだと思います。
小学館を相手に裁判で戦った(残念ながら4年ほど裁判はつづき、結果は和解という形ではありましたが、要求の賠償額はほぼ認められ、読売新聞への謝罪広告も実際に載り、毎日新聞では『実質勝訴』と、記事として大きく取り上げられました。なにかとあるごとに、その結果は後につづく人達に勇気を与えてくれるものとして、話題にのぼっています。
平田 弘史
================= 始まり ===============
加藤 直之さま ナ〜リホドネ〜〜〜。いやいや、コリャ〜 AGサンも裁判ど〜でもせにゃならん様ですな〜。枕を涙で濡らし、悔しい思いをした人が 著作権問題にハマリ込み、テープを起こして後世の為にも記録作業もしているとは!ウ〜ム。恐れ入りました。
>>裁判で判決が出れば、それは国の公式な、『司法』(裁判所の裁判官 >>が出した、お墨付の、結論です。マスコミへの発表でも、重みが違います。
>>裁判で結果が出た、という意味は非常に大きなものだと思います。
>>その結果は後につづく人達に勇気を与えてくれるものとして---。
確かにね〜....、 それはそうなんだけどな〜...。人を殺してから詫びてもしょうがないと同じかね〜。 でも、AGが全面的に詫びてくれば、許してあげたい気持ちは私にはあるよ。
著作権が、これほど重大なものとは知らなかった。うかつであった。 五人の弁護士並べて、やるならやってみろ、こっちにはこれだけの体制があるぞ! と、オドシの意味も含めて回答書を送ったが、これは愚かな事であった。 今、詫びて許される事なら詫びたいのだが、どうすればいいのだろう...。と、言う人が居たとしたら、その人に、その、選択枝は有るのだろうか?。
私は、そんな事も考えてしまうよ。
たまたま、昨夜ネパールの山奥で暮らす人達のテレビを少しだけ見たんだけど 塩を売る人と買う人のシーンで、売る人はヤクと言う何頭かの牛?の背に塩を積んで 険しい山道を何日もかかって運んできたのだから、トウモロコシ2杯だけでは売れないと言い、買う人は、それなら買わないと言って商談は決裂する。
しかし、売る人も、ここで買ってもらわないとヤクも疲れ、自分も困る。 買う人も、ここで買わなければ、村は塩不足だ。つまり、両者決裂したのにサッサト離れて行けない苦しさが両者に漂う。
すると、一人、中を取り持つ人が出てくる。遠い険しい山道を運んで来たんだ。 塩1杯にトウモロコシ5杯分くれと言うのに2杯分とはアンマリだよ。 買う人:それなら3杯分でどうだ。 売る人:5杯でないとだめだ。 間に入った人:そんなこと言ってたらまとまらない。中をとって4杯で手を打て。 それで両者納得し合い、買い手の村の老人は、売り手の19歳の若者を「大人顔負けの 大した男だと褒め、若者も、これで元気で村へ帰れます。と、老人に礼を言って去って ゆく事ができた。
人の世の中は、出来る事なら、こう、有りたい。
今、後人の為にも前例作るは大切だが、今、悔いてる人が居るとするなら これを救うも、また、大切な事かと思われる。ただ、悔いていなきゃア仕様がないが。 考えさせられる問題ですね〜。
ほんじゃ、またね〜。
=============== おしまい ======1998.1.16 平田弘史
飯田 HAL
AG出版社長が謝罪の意を表明したのならば、それを無視することは当然出来ないと思います。弁護士5人まで起てた回答書は、全くAG側の著作権に対する無知さから出したと言うことならば、その弁護士の無知さから出してしまったのでしょう。(^^; ) しかし、その回答書に嘘があることは明白です、それは削除したデーターから改めて本を出すことなど不可能だという事です。僕はうそつきは許せません。 謝罪するなら謝罪するで、その方法をこちら側から提示し、それを世に知らしめると言うことが最低条件になるのではないでしょうか。
寺田 克也
平田さんの「塩」の話も うなづける所です。 元来が、人の意見を耳にする度に 己の意見が霧散していく性格なものですから う〜〜〜む、とゆらぐココロが生まれた事を 白状しておきます。 むつかしいっすね。
しかし、今の所やはり最初に確認した通りの 「裁判すべし」の道を行くのが自分にとっては 正解かな、と考えます。 とりあえず先に棍棒でなぐりかかってきたのは AG出版の方ですよね。
最初の棍棒は無断使用。
2回めの棍棒は弁護士連名の回答書。
で、こちらの裁判モードの姿勢を耳にしたと思われる 他の参加者への「承諾書」送付。 このときに「ああ、この人たち本気じゃん、ヤバイ」と せめてあらためて交渉してくるとか謝罪するとかの 姿勢が見えたら、それこそ再交渉も成り立ったのでしょうが 後知恵の「承諾書」送付はどうにも頂けません。
これは3回目の棍棒みたいなもんです。
3度棍棒を振り上げた相手に こちらから再交渉を持ちかけるのは いささか腑に落ちないものがあります。 世の紛争のタネのほとんどが 「やられたからやりかえす」式泥沼なのは 重々承知なのではありますが、今回の事件に関しては 理はこちらにあるわけで、もうちょっとだけ こちらの理を貫く事にためらう必要はないかな、と 思ったりしました。
福間 晴耕
僕も基本的には加藤さんや塚崎さんと同じ考えでいたのでコメントをつけずにいましたが、各自の意向をはっきりさせておいた方がいいと思いましたのでコメントいたします。
僕の考えでは話し合いで決着が付くのであればそれに越したことはないと思っていますが、以前のお話では話し合いでは埒が空かない印象がしました。その後、ご提案された方とAG出版がやりとりした結果状況が変わっているのでしたら別ですが、そうでなければ今になって話し合いをしても時間をとられるだけになってしまうと言う危惧があります。
ご提案下さったかたが、AG出版を説得してくださっているという事であればこちらの考えをお伝えして、裁判の準備とは別に話し合いを進めてもらうのは歓迎します。その結果、向こうが誤りを認めて話し合いを申し入れてくるのであればそれに越したことはありません。 もしその際にAG出版側に伝えられるのであれば、僕が問題にしているのは損害賠償の金額ではなく、著作者に断りもなく勝手に作品を使われた著作権に対する認識の甘さを自覚して欲しいので、その為にもこの件が当事者同士の間で秘密裏に処理されるのではなく経過も含めてオープンな形で公表される必要があると考えていることを伝えて欲しいと思います。 (ただし既に塚崎さんを中心に相当な手間と目に見えないお金がかかっているので、せめて損害賠償でその分の埋め合わせが出来ればと思っているのも本音です)
平田 弘史
みなさまへ 再交渉と言う気運がどこから出たのか?
再交渉など、こちらからする必要など道理に合わんじゃないの!。
福間 晴耕さんの文中で
>>加藤さんや塚崎さんと同じ考えでいたので---。 (え?。平田も同じ考えですけど......?)
何か、誤解が生じたみたいだな...
それで、パティオを少し読み返してみたら
...フ〜ン...再交渉気運は私が生んだのかも〜?...。
私の文中で (この文はまだHPに転載されていません)
>>こちらから先方にプッシュしてもらいたい」と言うご提案のお心は立派です。
>>ともあれ、最近のAG社長の考えを確かめる必要はあると思います。
この2行が生む原因を作ったかも知れんな〜。と、気がつきました。
実に誤解を招き易い文を書いたものだ。これはうかつでした。 これを書いた意味は、例えば喧嘩して絶交状態になった関係でも、まず、こちらから手を差し伸べて、仲良くしてゆくキッカケを作る。この姿勢は立派だ。と、言う事を 書いた訳でした。 また、下段は、人の心は変わり易いものであるから、このまま裁判に突入するのでは なく、突入前に最近のAG社長の考えを確かめ、出来る事なら裁判なしにして 解決してゆくのが人の道ではないか、の意で書いたのです。
文が足りなかった、配慮が足りなかったと、反省しています。
AG社長が謝罪の申し入れをしてこぬ以上は、徹底攻戦の姿勢平田も変わり無い ので誤解無きように。
それと、平田の心の片隅には、国家権力が示す裁判結果だけが「ものを言う」のが 何か「しゃくにさわる」のです。弱き人民に裁判結果がどれだけ味方してきたのか。 国家権力が示す裁判結果にのみ活路を得ようとする姿勢も、何か「上さま」に へつらう徳川時代の士民の様で イヤナンダナ〜...。しょうがないけど。
それより、幕府権力に刃向かいながらでも、意志を思想を貫こうとして果てて行った 幕末の志士の様な行動をすることこそ!..........。
お問い合わせ先:AG出版問題緊急対策本部