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「マックでデザイン」出版差し止め仮処分の決定に対して

   

デジタルの著作権!?、大げさな活動をやっているつもりはありませんが、これくらいのインパクトは必要でしょう。

エージー出版の「マックでデザイン」に問題ありと申し立てた、我々5人は、そもそも、「著作権」にたいして神経をとがらせているタイプとは、 180度違った「そもそも、絵を描いているのが楽しいのである」というタイプの人間達でした。

だからこそ、エージー出版の企画に、気軽に乗ってしまったわけです。

無断出版物である「マックでデザイン」を書店で、見つけた時も、

「しょうがないな、無断でこんな事やっているなんて、ちょっとお灸をすえておきましょう」が、申入書を送りつけた時の心境だったと思います。しかし、エージー出版からの回答は、驚くほど過敏な反応のものでした。弁護士5人の連名で内容証明付き文書というやつです。「何て、ことだ。」エージー出版との闘いは、エージー出版の対応に立腹することが発端でした。しかし、我々の相談を受けた、平田弘史先生や加藤直之氏は、それよりも「著作権」の問題を重要視されていました。

審問に参加した我々、債権者たちも、やがて、その重要性に気がつきはじめました。

エージー出版は、作品や作者に対する敬意というものを全く、持ち合わせていませんでした。デジタルというものは、そうした人間性にかかわる部分を、無視してしまう感覚を持ち込むのでは? 冗談として話していたのですが、それほど間違っていないのではないかと思うようになりました。

例えば、デジタル出版と呼ばれる、アクロバット文書や、HTML文書は、MACやWINDOWSという垣根を取り払い、文字は当然、映像や音も取り込んだデジタル書籍を作り出すことが出来ます。

極めて簡単に、極めて良質な出版物を、個人で作成出来て、発信出来るようになるのです。ただし、そこには、著作権という大きな問題があります。オリジナルの作成にどんなに苦労をしても、マウスクリック1回で、それを簡単に、コピーしてしまえるからです。エージー出版が、審問に際して陳述した内容は、「画像の提供はして貰ったが、データとしてレイアウトしたのは自分たちであるから、著作権は、自分たちに (半分)在る。また、所有する事は当然の権利である。」でした。この回答は、まともな感覚から出てくるものとは思えません。何十人もの作家の心血を注いだ貴重な作品も、簡単にコピーしたりなど、データとして扱っている間に、「これらの作品価値は、自分たちが印刷して書籍にしてやっているからあるのだ」という感覚になっていったのだろうと思われます。

エージー出版そのものの確信犯的な悪辣さは、さておき、「マックでデザイン」にある問題は、コピーしたものに過ぎないという感覚と、コピーされただけのものではないという認識の闘いであったことです。

では、デジタルデータの著作権を護るにはどうすれば良いのでしょうか、それは、

◆◆ 完璧な「プロテクト」の方法を考え出すか

◆◆ 多くの人たちに、「コピーすることは、それらの著作者の生活権を脅かしてしまう可能性がある」ことを「認識」してもらう。

これ以外には、無いのではないでしょうか

我々は、プログラマーでは無いので、これを機会に「認識」を高める訴えかけをしていくしかないしまた、その責任があると思うのです。

「マックでデザイン」は、たまたまデジタルイラストのノウハウ本でしたノウハウの中でもっとも大切なのは、描き方の手順では無くて、便利さの中にある「危険」を知らせること「認識」を高める努力をすることであると考えるようになりました。

あえて、こうした記者会見まで行う努力は、エージー出版にに追い打ちをかけるためではなく、この書籍にかかわった「責任」をとるためです。今回の警鐘に気づいて貰いたいのは、こうした書籍にかかわることのある、デジタルによる作品を創っている人、又は創ろうとしている人たちなのです。

塚崎 健吾(牽牛)

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